夢って不思議だね、こんなにある幻想物語

豊饒の海 ④

第四巻 天人五衰

あらすじ

時代は1970年から1975年の夏までを時代背景としている。

76歳の本多は妻を亡くし、67歳の久松慶子と気ままな旅をしたりして悠々自適に余生を過ごしていた。天神伝説に伝わる算法の松原に言った折、ふと立ち寄った清水港の帝国信号通信所で本多は、そこで働いていた聡明な少年、安永透と出会う。彼の脇腹には3つの黒子があり、彼が清顕の生まれ変わりではないのかと考え、彼を自分の養子として迎え入れる。そして透に英才教育や世間一般の実務マナーを施して、清顕や勲のような夭折者にならないように教育を施していく。その中で本多は、透の自意識の構造が自分とそっくりなのを感じており、本物の転生者ではない気もしていた。透は徐々にではあるが悪魔的な性格を身につけていき、婚約者の百子を陥れて婚約破棄をしてしまう。東大に入学してからは80歳となった老齢の養父である本田を虐げていくことになる。

透の虐待によるストレスから、本多は20年以上やっていなかった公園でのアベック覗き見を再び行なってしまい、実行中に警察官に取り押さえられてしまう。その醜聞が週刊誌沙汰になってしまい、後期と見た透は本多は準禁治産者にしようと追い込み始め、自分が本多家の新しい当主として君臨しようと目論み始める。

本田の情けない姿を見かねた慶子が透を呼び出して、本多が透を養子にした根拠の3つの黒子にまつわる転生の話をして、お前は真っ赤な偽物と糾弾する。慶子は、あなたがなれるのは陰気な相続人だけと透を喝破してしまう

自尊心を激しく傷つけられた透は、本多から清顕の夢日記を借りて読んだ後、服毒自殺を図ってしまう。何とか一命を取り留めた透だったが、失明してしまい、それは岐宿も彼の21歳の誕生日となる数ヶ月前の出来事だった。

誕生日を過ぎて21歳となった透は、点字を学んで穏やかに暮らしていた。性格は一変して、狂女・絹江と結婚して彼女のなすがままに頭に花を飾って、天人五衰のようになっていた。

一方、自らの死期が近いことを察した本多は60年ぶりに奈良の月修寺へ、尼僧門跡となった聡子を訪ねるのだった。そこで門跡になった聡子は、清顕という名の男性は知らないと語る。驚きのあまり聞き返す本多だが、聡子は本当に存在していた人なのかと、問われてしまい呆然としてしまう。

夏の日ざかりのしんとした庭を前に、本多は何もないところへ来てしまったと感じていた。

三島由紀夫は夢と転生の物語を…。

登場人物

  • 安永透(16 - 21歳)
  • 本多繁邦(76 - 81歳)
  • 久松慶子(67 - 72歳)
  • 古沢
  • 浜中繁久(55歳)
  • 浜中栲子
  • 浜中百子(18歳)
  • 汀(25、6歳)
  • 絹江
  • 月修寺門跡(綾倉聡子)(83歳)

刊行物

『天人五衰(豊饒の海・第四巻)』(新潮社、1971年2月25日)

装幀:村上芳正。カバー画:三島瑤子。布装(紺絹装)。貼函。青銀色帯。

付録・対談:佐伯彰一、村松剛「認識と行動と文学―『豊饒の海』四部作をめぐって」

※ 私家限定本(総革装。天金。見返しマーブル紙使用)4部あり。

文庫版『天人五衰(豊饒の海・第四巻)』(新潮文庫、1977年11月30日。改版2002年)

カバー装幀:池田浩彰。付録・解説:田中美代子。

※ 改版2002年より、カバー改装:新潮社装幀室。

新装版『天人五衰(豊饒の海〈四〉)』(新潮社、1990年9月10日)

装幀:菊地信義。紙装。筒函。函(裏)に四方田犬彦、エドワード・G・サイデンステッカー(訳:安西徹雄)による作品評。

英文版『The Decay of the Angel ―The Sea of Fertility』(訳:エドワード・G・サイデンステッカー)(Martin Secker & Warburg Ltd、1975年1月。他多数)

ゲームでも夢を題材に物語が…。
八千代緑が丘の新築一戸建は多色使いを避け、白とベージュを基調とした色彩の連なりがまさに南欧の街に訪れたよう。 街並みの中央の赤い階段は存在感を魅せ、街並みを彩ります。

四巻の謎

四巻には不可解謎が残るような展開となっている。まず始めに、透が偽者の転生者かどうかという問題である。作中では慶子は断定しているものの、作者の三島先生は偽者か本物かはあえて隠していると語っている。村松剛氏曰く、作中でとおる画家個性を二度見ていることと、透の手記で、ある雪の日に窓から外を眺めている中で、老人が落とした鴉の死骸が『女の髪のやうにも思はれ出した』と書いてある描写に触れて、この光景は『春の雪』でそられた、聡子の髪の幻を見たということだと解読した。

鴉の死骸のようなものを落とすこの老人に対しても、話の筋と無関係に唐突に出てくるが、この黒いベレー帽の老人が、本多が公園で覗きをする箇所でも出てくることが指摘されている。この人物が誰で何を意味しているのかは不明となっている。柏倉浩造は、この人物は未来の三島先生本人ではないのかと憶測し、ヒッチコックのように登場させていると解釈しているが、時代設定が昭和49年時点であるため、60代の老人と、生きていれば49歳の三島とは年齢的に符合しないため、根拠はあまりないといえる。

作品解説・評価

三島はこの作品について、現世の人間がこれが極致だと思って考えたことが、三巻で空観、空のほうへ溶け込まされてしまうと解説している。三島先生曰く『その残念無念というのは、書いてる人間も残念無念。それを設定するにはどうしても戦前の日本ですね。そこに第一巻、第二巻を放り込んで、第三巻で、空が一度生じたら、それからあとはもう全部、現実世界というのはヒビが入ってしまう。現実世界の崩壊と、戦後世界の空白とが、これもまた次元がちがいますけれども、それが一種のメタファアになるというふうにして書いていきたかったんです。僕にとっても、戦後世界というのは、ほんとに信じられない、つまり、こんな空に近いものはないと思っているんです。ですから、仏教の空の観念と、戦後に僕がもっている空の観念とがもしうまく適合すればいいんですけれどもね」と述べ、「小説としてはもう完全に下り坂になるわけです。そこからはもう『絶対』もなんにもない』と、豊饒の海について解説した。